ゆれる瞳

 もう一度、モナリザの左目を見て頂きます。これは「 前々から気に成っており、昨日気づいた事 」です。モナリザに関しては、こう言う事がよくあるのではないでしょうか?
 モナリザの左目を凝視すると、瞳の中の瞳孔がやや目尻の方に寄っているように見えるのです。
 これは虹彩( 注1 )の向かって右上の部分が欠けている(黒く成っている)からです。
 しかし絵の劣化のためかも知れない。白目の目尻の側が、描かれた時より暗く成るとか、瞳の目尻側の部分の色が変わってしまったとかが重なって、こう成ってしまったのかも知れません。あるいは絵具が割れて落ちたのかも知れません。しかしアップした写真を良く見ると、やはり劣化のようには見えない。
 あまり瑣末な事を問題にしたら、「 眉がない 」の議論と同様、空転してしまいます。劣化のせいや解釈の相違の余地のない、大きな問題だけでもたくさんあるのですから、まずそっちを考えるべきです。にも関わらず、これはどうしても書いてしまいます。

 離れて見たらモナリザは、明らかにこちらを向いて微笑んでいます。
 離れると左眼虹彩の左上の欠けは、まぶたの影か目に入る光の加減のように見えるからです。
 瞳孔が瞳の中心から外れているように見えると言う事は、絵に近づくか、左目を凝視しないと判りません。
 『モナリザは何を見ているか?』で述べたとおり、絵に近づいたり顔を凝視したりすると、モナリザは目をそむけるのです。
 ちょっと右の絵を、ディスプレイから離れてご覧下さい。こちらを見ています。
 近づいて見てください。目をそらすでしょう?
 上ページで紹介したボッティチェルリの『 ヴィーナスの誕生 』と同じく、見る距離によって目に動きを作っているのです。ダ・ヴィンチは単なる左右の視線の違いから、虹彩に影を加え、瞳孔を瞳からずらす事によって、更に一手を加えたのではないでしょうか?

 ではダ・ヴィンチは、『 モナリザ 』がどのくらい離れて見られるよう、考えていたのでしょうか?
 これにはヴァザーリの証言があります。

 「 モナリザのまゆは毛根から様々に変化し、生える様子が描かれている。これ以上自然である事は不可能である。」
    (08'4/29日本テレビ放映『天才ダ・ヴィンチ 伝説の歴史壁画発見』より)


 ヴァザーリは『 アンギアリの戦い 』を、壁の下に隠したと言われている画家ですが、上の文章だけでも、いかに彼がダ・ヴィンチを尊敬していたか判るというものです。
 ( しかし田中英道教授はレオナルド研究の巨峰『 レオナルド・ダ・ヴィンチ 』(講談社学術文庫)P254で、「 ヴァザーリがモナリザを見た事は一度もなかった。」と断言しておられます。その文章は非常に説得力があるのですが、上の番組で紹介されたヴァザーリの言葉の前後をごそっと、P253~254に引用しておられます。( この本はお勧め! しかしヴァザーリが見たのは、『 アイルワースのモナリザ 』だったかも知れませんね。)
 ちなみにダニエル・アラスは「モナリザには眉がなかった」と、やはり断言しています。(出1) この辺、難しいですね。

 さて、眉毛の一本にさえ変化をつけて描いたと言うのですから、もうほとんど至近距離、絵にひっついて見るくらいから、遠く離れて見る場合まで、すべての距離で見られる事を想定して描いたのでしょう。  つまり見る距離によって何かの印象が変わったとしたら、それは計算づくと言う可能性が非常に高いのです。

 そして右目を見ると、瞳は明らかに少し眼頭の方に寄り過ぎています。目頭側に白眼がありません。
 この両目は、少女が恥ずかしくて不自然に目をそらせた一瞬を捉えたとも見え、そう見た時には目をそむける寸前と、そむけた直後の両目が、自然にこちらの目の中に作られるのです。
 それで目を見れば見るほど、モナリザがどこを見ているか、いよいよ判らなくなるのです。

 相手がどこを見ているか判らない。気持ちを量りかねる。こちらもどこを見て良いか分からなくなる。
 「 視点の惑乱 」は先の楕円の交錯以上に、この視線の行方でこそ、なされているようです。
 モナリザを見て「 恐い 」「 不気味 」と言うのも、多くはこの眼のためと思われます。
 そしておそらくこれが、市井にさえ少なからぬ熱狂的なファンがいる事の、理由でもあります。
 モナリザは見ようによれば、たまらなく可愛らしくも見えるのです。ちょうど男と言う愚かなものが、「 いけすかない女 」と思っていた奴に、ぞっこんに成ってしまった時のように。 ……… ここでも拒絶が最高の誘引に成っています。

 もともと「たましい」と言う意味の『 アニマ 』が、「 女性原理・理想の女性像 」と言う意味に使われるように成ったのは、女が少女時代にだけ持つ事の出来る、陽炎( かげろう )のような心の揺らぎ、哀しみと歓びの間の糸のような道を、堂々粛々歩いているからかも知れません。
 モナリザの視線は、はにかみ、誘い、望み、拒み、逃げる。およそ男 ……… と言うより、意識を魅了する全てを持っています。

 それにしてもこの揺れる視線は、まるで水の中にいる人が、こちらを見ているようではないでしょうか?
モナリザは明らかに、水の中からこちらを見ている ………
 とすれば「 更に一手加えた 」と言うより、『 もはや自由自在 』と言った方がいいかも知れません。
 と言うのも、後の『 背景 』で触れますが、レオナルドの作品、特にモナリザには『 水 』が大きな要素、鍵と成ると思われるからです。


(注1)虹彩「 こうさい 」 目の茶色だったり青かったりする部分。
(出1)「 モナリザには眉がなかった。」『モナリザの秘密』白水社 P267

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