モナリザの第四の橋


 モナリザには三つの橋がある。しかし ………
 『 第四の橋 』がありました。極めて明瞭に。
 これには、気付きませんでした。と言うのも、あまりにも大きく描かれてあったからです。
 そして、その部分は絵の下部、「 黒塗り 」として、私が無視していた領域だったからです。
 パスカル コット技師の( 絵の劣化を差し引いた制作時当初の )再現画像を見ていて気付いたのですが、良く見ると、普通の写真でも見えないでもありません。( 見えない写真もあります。いやもうはっきりと、まったく見えないと言っていいかなっ。 - 泣 - )

それはモナリザの座っている椅子の 『 肘掛け 』 です。

 
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 なんて事だ。これが見えなかったのか?!
 これは、ダ・ヴィンチ=マジックの一つであると思わます。こんな大きなものに今まで( 私の知る限りですが、)誰も触れていなかったのですからね。( 宮沢賢治も同じような事をします。非常に大きなものを中心に据えて、堂々と隠すという事をします。その周りにごろごろと、こぶし大の謎をたくさん散りばめておき、読み手はそのすべてを見定めた後、始めてその大きな謎、自分がその上を歩き回っていた岩に気付き、それはしばしば問いの答えにも成っているのです。何故そういう事が出来るかと言うと、思い、感じた通りを正確に、誠実に、順番通りに書くからだと思います。おかげで読み手は作者の感性や思索の跡を、その通りに辿る事が出来るのです。 )

 これは『 対比 』と言うものです。いや、『 アナロジー 』と言った方が良いかも知れません。ダ・ヴィンチの常套手段です。ダ・ヴィンチは一つのイデー ( 想念 ) を表現するのに必ずと言って良いほど二つのものを使うのです。むしろ「 一つのものでは表現しない 」と言った方が良いでしょう。

 これに最初に気づいたのが田中英道教授で、有名な『 二重人物像 』です。興味を持たれた方は、「 田中英道 二重人物像 」で検索して頂ければと思います。
 言われてみれば、あからさまな程に明瞭で、誰にでも判る事です。しかしそんな発見をする事ほど、難しいものはありません。
 ちなみに『 モナリザ 』では、この二つは一人の人間の左右の顔、「 男の顔と女の顔 」あるいは、「 歓びの顔と哀しみの顔 」で表現されています。
 一つのものとして表現しようと思えば、もちろん出来たでしょう。しかしそれを二つに分けると、何かの『 動き 』を描く事が出来ます。いや、動きを描こうとしたら二つに分かれたのではないでしょうか。それは描こうとするものへの、画家の心の動きであり、そうやって描かれたものが、見る人の心に同じ動きを与える。 ( 布施英利先生はこれを『 和音 』と表現しておられます。なんとも粋ですね。)
 ここで私は『 シジキー 』と呼ばれる、男女一対の神を思い出します。( 道祖神なんかです。)一つの神を、夫婦一対の神として表現する。
 神は単一の意志、『 自ら産まれ出た者 』だが、それを存在( 意識 )の場に登場させるには、自らを二つに分割せねばならない。
 「 大極 両儀を生ず 」の通りですが、これが更に精錬されると、三柱神( トライアッド )として安定する。この流れがユングの観察です。

 話が少々脇に逸れましたが、対比として例に挙げたいのは右の『 岩窟の聖母 』です。絵の上の不思議な形は何でしょう? 岩でしょうか? まるで生き物みたいですね。しかも右に突き出た二本の棒は、何だかさっぱり分かりません。手のひらまで描いてありますね。不自然な物が堂々と描いてあり、しかも鑑賞者はほとんどそれに気付く事が出来ません。口に出せるほど、はっきり気付けない。気付いても言い出しにくい。何か、みんなが解っているのに自分だけが知らないでいる時のように、言い出しにくいのです。
 しかしこれは、マリアの手と対比をなしています。悪魔の手が聖家族に迫ろうとしているのを、マリアの手が幼な子を守っている ……… しかし不気味ですね。
 ダ・ヴィンチの他にも、天才と呼ばれる人の中には、しばしば奇妙な雰囲気の絵を描く人がおります。例えばピカソが「 20世紀最後の巨匠 」と称えたバルテュスなど、私も『 日曜美術館 』で見て感心したのですが、何とも気色の悪い、嫌悪感を催す、妖しげな雰囲気の絵ばかり描きます。これは彼を誉めた当のピカソもですが、常人なら感覚的に拒絶するのが当たり前の絵を描きます。ダ・ヴィンチの絵も、ケネス クラークなどは、はっきりと「 ハ虫類的 」と表現しています。また子供は正直で、モナリザを見るとしばしば「 不気味 」と言います。ところが玄人はこれらを絶賛する。「 これはもの凄い絵なのだ 」と。

 何故そんな風に成るのでしょうね? 一応私の解釈を書いておきますと、無意識の層を深く潜ると、神に至る前に魔の領域をくぐらねばならない。唯識でもアーラヤ識の手前にマナ識と言う凶悪な意識の層があると言い、無意識に一歩踏み込むと、抑圧している恐ろしい物が出て来て、もう一歩踏み込むと、それらの元型というか根っこのようなものが出てくる。「 自分はカミサマに向かって歩いているのだから。 」とばかり言っていたら、オウム教徒のように成ってしまう。
 昔話では、しばしば魔人や妖怪が主人公を守り、助け、おかげで彼は神聖な任務を遂行出来るのです。( 西遊記なんかもそうですね。 )ですから天才たちの絵にしばしば不気味な雰囲気が漂うのは、彼らがそのような意識の地平におり、それを実感として掴( つか )んでおり、それをそのまま描くからでしょう。
 ダ・ヴィンチも 『 手記 』 で、『 意見が作品より先にすすむときこそ、最大の禍である ( 出1 )と言っている通り、様々な思弁を込めて絵を描いていますが、もちろん理屈で描いている訳ではありません。畢竟、感性に導かれて描いていているのです。しかし天才の感性は我々にはそのまま受け取りにくい。外国語を読むにはどうしても辞書や文法のお世話にならねばならないように、理屈の手助けを必要とするのです。どうかご容赦願いたいと思います。

 さて、話を元に戻しますと、どう考えても、橋と肘掛けを『 対比させている 』と見るべきでしょう。

 何故そんな事をしたのでしょう?
 橋はこちらの世界と遠景を結ぶものです。あの遠景 ……… 「 荒涼とした 」とか「 人類出現以前の 」と表現される背景を、私は『 前意識的な 』と呼ぶ事にします。これ以外の表現は出来ません。
 太宰は北津軽の自然を「 風景の一歩手前のもの( 中略 )旅人と会話しない 」と表現しましたが、まさにそのような意味で、見る人に有機性とか暖かさと言うものを感じさせない。あるにしても、そのまま凛としてある。野生じみた自然です。
 そしてモナリザ中央の女性、これを私は

『 モナリザは複数のボディラインを持つ 』

 と、
『 母、娘、太母、そしてマリアから叡智へ 』

 で、ユングの言う正確な意味での『 アニマ 』と断じたのですが、アニマは意識の最深部から現れ、目の前の女性に投影される事もあり、この世とあの世( 意識と無意識 目の前の現実と、普遍的な価値 )とをつなぐものです。橋との強い近似性を持っています。いや、ダ・ヴィンチは、
 『 モナリザは、橋だ。』
 と言っているのではないでしょうか?

 人はアニマによってゼーレ( 内面性・たましい )へと誘われる。
  ( またアニムスによって、ペルソナ( 外面性・現実 )へと展開される。 )
 アニマこそは、はるか湖( 海? )の底から目の前に現れて、この現実世界と、たましいの世界を結ぶもの。
 モナリザの橋は、永遠と瞬間を結ぶもの。これが結論です。

 そうすると、どうでしょう?
 モナリザは遥か遠くの橋の上にも肘を掛けているという事に成りますまいか!
 ちょっと、霊写真のようですね。( 笑 )
 目の前にいる、今が盛りの若い女性が一瞬、微笑む。これほど確かなものはありますまい。
 しかしこの現実も、すべて不確かなものに寄りかかっている。

 ちなみにアイルワースのモナリザでも、よく見ると肘掛けには複数のアーチがあるように見えます。また、プラドのモナリザには、はっきりと複数のアーチが見えます。どうやらモナリザの橋と肘掛けは、必ず複数のアーチを持つ事に決定しているようです。ウィキペディアのリンクを貼っておきます。中ほどの左にプラドのモナリザがあります。
 ウィキペディアによれば、このプラドのモナリザは、
  「 2012年1月に、マドリードのプラド美術館が、レオナルドの弟子、それもおそらくはレオナルドと非常に近しい弟子が描いた『 モナ・リザ 』の模写を発見し、完璧に近い修復を実施したと発表した。プラド美術館の「モナ・リザ」は、ワニスがひび割れ、経年変化で黄化している現在のルーヴル美術館が所蔵する『モナ・リザ』よりも、制作当時の外観をよく留めていると考えられている 」
 という事ですが、あちこち曖昧な所があります。『 水の源泉たる暗い穴 』も、ボケています。「 じゃあ橋は? 」と見ると、フリーハンドの単線で描いたようですが、ちゃんと複数のアーチがあります。手前には崩れた橋。向こう側には、これははっきりと二本の岩の隆起があります。橋や穴に対するはっきりとした理解はなかったようです。そのかわり注意は人物に集中していたようで、緻密に緻密に描き込まれていますね。
 ……… あのルーブル版の、辛うじて二筋に見える橋は、絵を写しても、記憶によって描いても、別々の二本の隆起に ……… 成るのかな? まあ、「 自分のモナリザを描いた 」ようですが、凄い才能ですよねー。案外参考にも成ったじゃないですか。
 などと、またしても色々、考え事の増えるモナリザでありました。

 さて、時間ですね。なかなか、書けませんね。 ( 泣 )


( 出1 )『 レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 上 』岩波文庫 p46


  プラドのモナリザの橋
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つづく


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