アイルワースのモナリザについて 1

問題は二枚のモナリザがどのように干渉し合い、お互いを説明し、語り合っているかです。

絵が多いので、容量を心配しページを分割しました。
ルーブル版
スラリ、なで肩
仲を取り持つ
ラファエロの模写
アイルワース版
首をすくめているような感じ

 モナリザはもう一枚ある ……… モナリザは二枚ある ………
 この絵は幻と言われて来ました。
 そういえば、私もずっと前に聞いた事があります。しかし所有者が
 「 見したらへん。 」
 と言うので、くやしくて、
 「あるんなら出してみい。ふん。」
 と思って、そのまますっかり忘れていました。ところが2012年、大規模に公開。

 一番最初見た時には、
  「 こりゃあ、ニセモンだろう。 」
 と思いました。
 ネット上で、縦5cmくらいの小さな写真を見たからです。
 後にもっと解像度の高い大きな写真で見てみると、
  「 これは本物ではないか? 少なくとも相当にダ・ヴィンチ本人の筆が入っているだろう。私の鑑賞眼では、たとえ偽物であっても本物と見分けがつかない。 」
 そう思いました。一部にほころびが見えるとは言え、 ( 絵の具やキャンバスの年代など以外、絵の内容にも ) のちに述べるように、いくつかの真筆と思える要素があります。ところが何か月かして、
  「 あれ? 私は何故、最初の小さな写真を見たとき偽物だと思ったのだろう? 」
 と、不思議に思いました。つまり、もし私がルーブル版のモナリザや、 ( 昔から大幅に上書きされていると判っている ) 『 最後の晩餐 』 を今まで見た事がなく、小さな写真で初めて見たとして、 「 これはニセモノだ。 」 と思うかどうか。おそらく 「 もっと大きな写真でちゃんと見てみたい。 」 と思うでしょう。これは他のレオナルド作品でも同じ事です。何故アイルワースのモナリザに限ってニセモノだと思ったのか? その時の事を思い出してみました。

  「 そうそう、全体の姿勢だ。ルーブルのモナリザはいかにもスラリとして、見事に背筋が立っている。それに対してアイルワースのモナリザは、何か 『 寸詰まり 』 のような感じがする。 」 細部は緻密に模写できても、根本的なデッサンが狂っておる。私は 「 ふふふ、俺が中学校の美術でよくやった事だぜ。 」とつぶやき、それで、
  「 下手くそな奴がモナリザを見て、でっち上げたな。良く出来た贋作だろう。 」 と思ったのでした。
 二枚のモナリザを並べて見ると、アイルワースのモナリザは首を前に倒してアゴを突き出すというか、猫背の人が顔を上げたというか、 『 首をすくめている 』 ような感じがします。体全体に対して顔の位置が少し不自然。
 まあ、こういう人はおられますが、その場合頚椎に特徴があるはずで、いまモナリザのお墓を掘っ繰り返していますが、 ( ああいう事はあんまりして欲しくないのですが、 ) 多分そんな特徴はないでしょう。 ( あっても同じ事です。その時そのようなモデルから依頼が来たのなら、それはレオナルドの自我発展との共時性として、内側にあるものが外側から顕れたのです。
 問題はそれがレオナルドの中でどのような変遷を遂げてルーブル版のモナリザに至ったか? 二枚のモナリザがどのように干渉し合い、お互いを説明し、語り合っているかです。

 ところがっ! テレビで縮尺を変え人物の大きさを同じにして、目鼻口に水平線を引いた映像が紹介されましたが、これがドンピシャリでまったく同じ。またしてもダ・ヴィンチ=マジックです!
 私もやってみました。こういうのは自分でもやってみると、結構 「 拾いもの 」 があるもんです。橋や水平線の高さなど、背景も構図も全部コピーしたように一致していますね。これは知りませんでした。ここで一つの疑問が湧きあがります。
  「 同一の創作者が、二つの作品をここまで正確に一致させる必要があろうか? 」
 という疑問です。ふつう、創りながら変わってゆくのが自然です。構図は、人物はもとより背景に至るまでぴったり同じ。この二枚の絵は大きさが違うので、 「 比率は同じ 」 という事です。つまり、ちゃんと寸法を測り、計算した可能性が高い。創造的な人格が、自分の作品でそんな事するだろうか?
  「 アイルワースのモナリザはレオナルドの弟子たちの、創作を混じえた丹念な模写である。 」
 という意見も、無視する訳には行かなくなって来ました。これじゃあこの絵の所有者が、簡単に公開できない訳です。下手をすれば詐欺師、ペテン師の汚名を着さられかねません。
 しかしモナリザには 『 黄金率 』、 もっとも理想的に見えるものの比率が多用されていると言いますし、顔の輪郭は、絵の奥のイエス・キリストの輪郭とも、左右反転した自画像とも一致しているので、変えようがなかったのかも知れません。 ( じゃあレオナルドはアイルワースのモナリザを描いた時点で、もうそこまで考えていた事に成ります。その後に描いたルーヴル版のモナリザの下絵にイエス・キリストがあるのは、ちょっと不自然かとも思えますが、これは結論から言うと、 「 どちらとも言えない 」 と思います。
 反対にこの事実は、
  「 X線画像によると、モナリザには筆の迷いが一切見られない。最初の下絵から一切変更がない。こんな絵は珍しい。まるで最初から完成品が目の中にあったようだ。 」
 という謎の答えに成るかも知れません。

 ではいよいよ不思議に成って来るのは、
  「 まったく同じなのに、何故 『 寸詰まり 』 に見えるのだろう? 」
 という事です。


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