モナリザの眉について
『 世界ふしぎ発見 』 (2013'5/10)で、モナリザ特集をやってくれました! ありがたやっ。
最初の15分は見逃しましたが、あとは録画もバッチリ致しました! これで私の長年の疑問がほとんど氷解いたしましたっ! それは、
『 モナリザに眉はあったか、なかったか? 』
と言う疑問です。
これは大昔から論議の種に成っており、現にないものが、なぜ論議されて来たかというと、ヴァザーリが書物でモナリザの眉を絶賛する文章を書いており、加えてラファエロの描いたモナリザの模写に、はっきりと眉が描かれているからです。
「 じゃあ消えたんじゃないか? 消える前はどうだったのだろう? ないものは、よけい見たいっ。 」
と言うのが人情ですが、モナリザに眉がなかったと断言する人は結構おり、彼らは、
「 おたまじゃくしにヒゲはない。あってたまるか、あったら怖い。」
と言っているのです。
「 ぶち壊しでしょう。あの絵に眉なんか描いたらっ。 」 と。
これには私ていどの審美眼でも、まったく同感。特に瞳に込めた謎を眺めるのに、邪魔にしか成らない。蛇足以上のものがあります。
例えばダニエル アラスは 「 実際は彼女に眉毛はないのです。」 ( 出 ) とかなり強い語調で断じ、田中英道教授も驚異的な慧眼でヴァサーリの文章を解析し、「 ヴァサーリがモナリザを見た事は一度もなかった。」 ( 出 ) と断じておられます。この文章には、非常な説得力があります。
ところが2007年、パスカル・コット技師が光学の粋を凝らし、モナリザの眉の撮影に成功。
新聞の切り抜きをアップしている方がおられますので、リンクを貼っておきます。
パスカル コット氏は、専門の光学技術で多くの名画を様々に解析。大きな成果をどしどし上げていっておられます。これで決着が付いたかに見えましたが ………
じゃあその眉は、なぜ消えたのだ?
「 洗いにかけた時、消えたのだ。 」 と、これも大昔から言われておりましたが、
「 眉なんか洗ったくらいで、そんなに簡単に消えるものか? 」
と、私は非常に引っ掛かっておりました。と言うのも、「 モナリザが変色しているのは、表面に塗られたニスの劣化のため 」ではなかったか? で、ビデオを見返したら、パスカル コット氏もそう言っておられ、それどころかニスの劣化を差し引いたモナリザの色彩まで解析しておられ、それならモナリザの眉は、絵が完成して ( ? ) ニスを塗り、その上から描かれた事にならないか? けど油絵で描いた絵に、ニスなんか塗るもんだろうか? 「レオナルドは最期まで、口元の部分に手を加え続けていました。」とも聞くので、ダ・ヴィンチが死んでから他の人がニスを塗ったんだろうか?
ところが、そのコット氏本人が後、2010'の番組で、 ( 出 ) モナリザの眉は、
「 ダ・ヴィンチ自身が消したのではないか。」
と呟いているのです。このセリフを聞いて
「 そーら見ろ。 」
と思った方も多いのではないかと思います。
コット氏自身、眉を撮影してから何年も、多くの事を考え続けておられた訳です。私は、
「 最初は肖像画として描かれていたのだから、モデルや周囲への言い訳のために軽く描いておき、人がいなくなったらさっさと消した。イボは見る人が絵を理解するために必要だから、敢えて残しておいたのではないか。 」
と思っていました。
レオナルドが自分で消したからには、 「 モナリザに眉はあった 」 とは言えなく成ります。
加えて2012年、おそらくは肖像画として描かれた要素の強い 『 アイルワースのモナリザ 』 の大規模な公開。
ルーブル版のモナリザの、大きな下書き。描きながら自らの霊感を直接に触発したであろうこのアイルワース版のモナリザには、はっきりと眉が描かれてあり、
「 そうかあ、ヴァザーリが見て、ラファエロが模写したのは、こっちのモナリザだったんだあ。 」
とすれば問題は一気に解決。そしてこの可能性が最も大きなものでしょう。いや、ラファエロの模写の柱の位置は、アイルワース版とほぼ同じなのですから、 「 もう決定的だ 」 と言われても、反論は難しいでしょう。他のさまざまな疑問も、無理なく説明できます。
しかしあまりに安直な答えだ。全部アイルワースのモナリザのせいにするのは、危険すぎやしないか? もっと考えるべき問題を、見逃してしまわないか? 一番の問題は、
「 モナリザ、つまりレオナルドが心血を注いだルーブル版のモナリザには、眉はあったのか? 」
です。いや、眉は撮影されていますので、 『 あったのに何故いま消えているか 』 です。
これも旧来通りの説、「洗浄した時に消えたのだ。」とすれば簡単なのですが、肖像画がアイルワース版とすれば、後に絵画芸術の限界を破壊するため、また、自分の人生を完成させるために描かれたルーブル版のモナリザには、最初から眉を描く必要はなかった。いや、レオナルドと言えど、最初からそこまで完成品を想定して描いたのではなく、創作は基本的に手探りの作業でもある。ちょっと描いてみて、 「 これはまずい、 」 と思って消したのか?
そして眉のない事自体にも、謎があったのです。たとえば田中教授は、
「 高貴な夫人は眉を剃るのを習慣としていた。 」
と言い、アラスは、
「 当時眉や髪を剃っているのは、素行の悪い女たちだけでした。」 ( 出 )
と言い、だいたい二派に分かれており、さて、どちらが本当なのか? 学理において田中教授の右に出る方は、おそらく世界におらず、私は田中教授の信者でもありますので、( 笑 ) 前者に軍配を上げたいのですが、ではアラスが無学の徒だったかと言うと、これまたとんでもない話で、そんなに見当はずれな事を書くはずがない。私は、
「 キャバレーのねーちゃんが看護婦さんの格好をするようなものか? 」
と首を傾げておりました。娼婦がセレブの格好をして客とはしゃぐのは、古今東西ありそうな話で、折衷案としては結構ですが、あまりに安直な上に私の勝手な想像で、自分自身これを信じる事が出来ない。実際の所は、どうだったのでしょう?
これにも 『 不思議発見 』 は答えてくれました!
「 当時は、薄い眉毛が流行の最先端。 」
これは新説ではないかと思います。当時の風俗に関する文献が発見されたのかも知れませんね。思わず 「 ほおぉぉぉ 」 と叫んでしまいました。
だいたい眉とは何か?
人相学では 『 目は太陽、眉は雲 』 などと言い、眉でその人の基本的な精神の状態を見ようとします。
おそらく認識と創造性による精神的な強さ、特に能動性を、人は眉に感じるのでしょう。
翠眉 ( すいび - 緑の眉 )、 蛾眉 ( がび - 蛾の触角のような、細く弓なりの眉。 蛾眉をひそむとか言いますね。 ) などと言う表現もありますし、江戸時代でも結婚して子供が出来ると女性は眉を剃り、青眉 ( せいび ) と呼ばれる青い眉にしたそうです。 ( 出 )
化粧というのは女らしく、たおやかに見せるためのものでしょうから、あんまり両津勘吉のように太くたくましくあるよりは、優しく薄くあった方が良い。
それが返って女性的な聡明さ、神秘性を表現する。
そうして番組は、コット氏が 『 アーティストに依頼して復活させた 』 というモナリザを紹介してくれました。そこには ………
あっても邪魔にならない、薄い眉。あるかないか判らないほどの、薄い眉。
もしかすると、かのミクロ点描画法で描かれた眉。それで、簡単に消えたのか?
処女であり娘であり、母でありマリアである者が、目の前の現実の女性であるという奇跡。瞬間がそのまま永遠であるという奇跡を雄弁に語る、眉。 ……… 眉があれば、その女性はいよいよ現実の女性に近づくからです ………
そんな眉なら、あった方がいい。
そして背景の水は、深海か星空を想わせるような、澄んだ濃い青。発光ダイオードの青のような色です。ミステリーハンターの坂本三佳さんが、思わず 「 神秘的ですねえ 」 と驚きの声を漏らします。同感。
ここで私は謝罪しなければなりません。私は、
「 しかしこの青は、少し疑問です。他のレオナルド作品の水には、決して使われていない色です。 」
と、この青も創作の一部と思って書いた文章を、10日ほど掲載していたのですが、番組を良く見返すと、この色調もコット氏苦心の再現で、どうやら制作当時の色に近いようです。この遠景の青は、例えば 『 最後の晩餐 』 の、イエスの背後の色に近いかも知れません。崇高な色です。そうすると、背後に描かれたイエス、またマリアとの親近性も出て来ます。
この失敗は私が番組をいい加減に見ていたのが原因ですが、その再現映像が私にとってあまりにも意外だったせいでもあります。
「 眉発見 」 の時の再現映像にもせいぜいショックを受け、それを 『 作品の劣化について 』 に書いたのですが、今回はもっと重症です。根本的に違う絵、と言うか、 『 絵姿女房 』 の本人に会ったようなものでしょうか? 「 勝手な空想画 」 と思って絵も適当に見ていましたが、よくよく見れば ………
まず、眉のおかげで、顔の起伏がはっきりとした、と言うより、 「 出現した 」 のです。立派に美人画にも成っていました。
もちろん、肌のその他の部分も修復されております。
顔の向かって右半分の 「 男の顔 」 からは不敵さ、尊大な傲慢さが消え、 『 明るい美しい男 』 に成っていました。
左半分の 「 女の顔 」 の哀しみは影を潜め、 『 慈愛や控えめな優しさ 』 に。
そして両目を見た時の印象は、なんと 『 いたずらっぽさ 』 !
肌は、 「 これがラファエロが感動したという、スフマートか。 」 と、納得の行く美しさです。
そして私が 「 シナイ山 」 と表現した山には緑が! 橋の上の起伏にまで緑! 本当か?
なんて事だ。冬の絵が、初夏の絵に成っている!
これは時間を内省する絵ではなく、時間が湧き上がる、生命の源を描いた絵に成っている! しかし ………
ダ・ヴィンチが生涯の総決算として描くには、確かにその方がふさわしい ………
先ほど15分もビデオの静止画を見て、 「 まいった。 」 を10回くらい言い、
「そうか。緑にニスの黄を足したら、緑に成るもんなあ。」
と納得し、
「それにしても、緑を青に変え、眉が薄くあるだけで、これほど違うものか。」
とまったく驚きました。
いや、もちろんその他の部分もきれいに修復されていますがね。
いま私は相当に打ちのめされております。根本的な事は、何一つ変わらないのですが、モナリザに対する認識を、静から動へと180°変えねば成りません。ぜんぶ考え直しです。来年から年金がもらえると思っていた者が、もう三年はたらけと言われたような気分です。
あんまりショックだったので、お経の言葉を思い出したくらいです。 ( 笑 )
これからモナリザを語る者は、コット氏の再現画像をもとにするのが主流と成ってゆくかも知れません。
そのくらい違う、元通りの絵でした。( 出版社にとっては、福音ですね。 本を全部出し直しできます。 -笑- どうかすると、あちこちの喫茶店に貼られるかも知れませんね。) あと百年もしたら、相当に制作当初に近いモナリザが、現在のモナリザと並んで、どの画集にも載るかも知れません。私、一発そのハシリをやってみます。けどその前に、アイルワースのモナリザと、ダビデに挑戦しなければ。
最後に負け惜しみを言わせていただくと、モナリザが傷んでいなければ、ただの 「 すごくきれいな絵 」 で済まされ、誰もこんなに注目しなかったかも知れませんね。やっぱり、神様のイタズラ、ないしはサービスであったと思います。
ちなみに、この回の 『 不思議発見 』 番組バックナンバーのリンクを貼っておきます。
ダ・ヴィンチの母の生家が残っているとは驚きで、いま、レストランに成っているんですねえ。この辺は 「 さすがは不思議発見! 」 です。もちろん、しっかり食べて来ています。 ( 笑 )
「 家柄、身分が違いすぎて結婚を許されなかった。 」 と聞いていたので、かなりの貧乏と思っていましたが、レストランに成っているくらいですから、意外と大きく立派なお宅です。相当の豪農だったのかも知れませんね。
また、モナリザの子孫の家系に取材したのには、 「 えっ? いるの! 」 と、これが一番の驚きでした。少なくとも、お墓を暴くよりは何かが分かりそうです。
なんでも千年前までさかのぼれる、メディチ家にも匹敵するほどの名家で、英首相 チャーチルを輩出している。そしてその家の財産目録には 『 モナリザ 』 の名があるというのです。当主は、
「 もしかしたらアイルワースのモナリザの事だったかも知れませんね。 」
と、微笑みながらおっしゃるのです。
これもずっと引っ掛かっているのですが、私の読んだどの本にも、
「 モナリザは受け取りを拒否された。 」
と、確定的な表現をしており、その理由を推察したりしているのですが、本当に受け取らなかったのか? むしろダ・ヴィンチの必殺技、
『 未完成でございます。 』 → 握って逃走。 ( 笑 )
の方が、自然じゃないかなあ、と思っていたのです。だって、死の直前まで加筆し続けたとも言われるほど執着していたものを、そう簡単に人に渡せか疑問だったのです。ちゃんとした文献でも残っているのでしょうか? しかしその家の財産目録に 『 モナリザ 』 があると言うなら、また一つ謎が増える事になりますね。