アイルワースのモナリザについて 3 柱の謎

 左のラファエロの模写がアイルワース版であったなら、これは直接的にアイルワース版がレオナルドの筆によるものと証明する事に成ります。ですから前ページの「前かがみの姿勢」と共に、柱の事に言及しておかねばならないでしょう。
 アイルワース版の柱の構図はラファエロの模写にどんぴしゃりで同じ。
 それを 『 世界 ふしぎ発見! 』 は、モナリザ制作期間当時のレオナルドのアトリエに取材し、現物を見て来た!
 そもそも、そのアトリエとはサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の一室、ローマ法王ご来臨時の執務室だったそうで、なんとも大きな立派な部屋です。そしてその部屋には入り口とは別に、回廊につながるもう一つの扉がある。その回廊の柱がアイルワース版の柱とほぼまったく同じ! ではここが、モナリザの制作現場? おそらく室内で描いたり、気候の良い日には回廊で描いたりしていたのでしょう。
 と言う事は、複数の文献にある 「 レオナルドが描いている肖像画 」 と言うのは、アイルワース版だった事に成ってしまいます。 ( あるいは更にもう一枚あったかです。 )

アイルワース版のモナリザ

 アイルワース版で両端にそそり立つ柱は、ルーブル版では両端の丸っこい出っ張りだけに成っています。我々はモナリザに一歩、歩み寄った、ズームインしたのです。これは、人物と背景の比率にも表れていましょう。 ( ルーブル版は人物がずっと大きく、背景が小さく成っています。 )
 ダ・ヴィンチは、この柱の構図にこだわったようです。
 ラファエロはこの柱の構図にも感銘をうけたようで、『 一角獣を抱く貴婦人 』 と言う作品もなしています。膝に動物を抱いているのは、ルーブル版でよく言われる、「 モナリザは何かを懐胎している 」 事。そして 「 不自然な腕の膨らみ 」 は、むしろ目に見えないものを抱いているからかも知れません。またそれがラファエロの目には一角獣だったと言うのも、意味深です。対極のものを懐胎していると言う事かも知れません。


 たった今、気付きましたが、この柱はモナリザという絵画にとって、思っていた以上に大きな要素だったようです。
 この柱は 宮沢賢治が『 網 ( あみ ) 』と表現した事のある 、あの世とこの世の境界面だったようです。意識と無意識の境界面と言っても良いでしょう。
 あぁ、これには一文を草した事があります。たいそう苦労した。 『 宮沢賢治は猫嫌い? 』 と言う文章です。よほど暇があったらご参照下さい。

 そもそも肖像画として描かれ始めたモナリザは、教会の回廊で座っているそのままに写された。当然、柱はモナリザの後ろにあります。
 ところがルーブル版のモナリザでは、柱は目立たなく成っています。
 これをダニエル・アラスは、 「 背後の石垣によって鑑賞者をモナリザと同じ空間に置き、腕で拒絶し、柱でまた距離を取る 」 ( 出 )と言う意味の事を書いています。
 ダ・ヴィンチは、アニマはこちら側、意識の側に現れていると言いたかったのかも知れません。

 しかしルーブル版の両端の出っ張りは、説明を聞いていなければ柱の影と分かりません。
 当時の美術年鑑に、
 「レオナルド・ダ・ヴィンチ - 作品、ジョコンダとモナリザ」
 とあるのですが、 もしかしたらレオナルドは、鑑賞者が当然、アイルワース版のモナリザを知っている事を前提としてルーブル版を描いていたのかも知れません。
 つまり、ルーブル版とアイルワース版は 「 連作的な作品 」 だったのかも知れません。それだったら本当に、公開されて幸いでした。画家は両者を見比べて、色々論じ合って欲しいと思っていたでしょうから。
 もしかしたら将来、並べて展示される日が来るかも知れませんね。


 ところで私は、 「 アイルワース版の柱にはもう一つ謎があるのです。
  ………上に行くほど間隔が狭くなっているのです。 ………  」
 と、その謎を考えた文章をここに掲載していたのですが、他の写真を見るとそうでないものもあります。
 これはおそらく、少しカメラを近づけすぎて撮影したため、凸面鏡に映したように成ったのでしょう。
 早とちりをお詫びするとともに、また間違う人があるかも知れないので、一応ここに申し上げておく次第であります。

つづく 乞うご期待。

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