スフマートの新説は真説か?
(驚異のミクロ点描画法)

 2011'01/09、NHK 『 日曜美術館 』で放映された 「レオナルド・ダ・ヴィンチ 驚異の技を解剖する」 で紹介された、モナリザに使われたスフマートの新説。それは、
  「スフマートは実はミクロの点描画法だった。」
 と言うもので、つまりモナリザ全体は点描画、すべて極々微細な点で描かれていると言うのです!
  「そんな! まさか?!」ですね。

 スフマートとは、ごく薄い絵の具を、極々薄く積層してゆく技法と思っていましたし、そうした技法が 「スフマート」 と呼ばれているようです。また、広範に「ぼかし」と言う意味で使われているようです。こちらにヤフー知恵袋のリンクを貼っておきます。

 にもかかわらず、今まで 「スフマートとはどんな技法か?」と言う事がしばしば話題にされて来たのは、 「いったいどうしたら、レオナルドのように描けるか判らない」 からに、他ならなかったのです。
 ところがついに、その通りに描く人が現れ、目の前でやって見せた!
 パリ在住の 「画家であり、美術史家でもあるジャック・フランクさん」 と紹介された、その方の言われるには、

 モナリザには、筆のタッチがまったく見られないのですが、そんな事が出来る技法は限られていて、ミクロ点描画法のような綿密な処理をしなければ、タッチを完全に消す事など、不可能だからです。

 この発言には、説得力があります。それにしても、モナリザには筆跡が一切なかったのか? いや、そんな事はまったく知りませんでした。筆の跡がないなど、実に不思議な絵です。だって、その絵は筆で描かれていないと言う事ですからね。(!)

 さて、「モナリザの描き方」 ですが、番組はマエストロフランクの製作の様子を詳しく紹介してくれました。

 まず、鉛白の絵の具で地塗り。( モナリザと同じ、ポプラ材の板を使用。)
 炭で地塗りの上にデッサン。( 半透明のカーボン紙を使って線を転写。)
 筆を使い黄土色のオークルでデッサンの線ごと下塗り。
 それを指で叩くように引き伸ばしてゆく。

 均一に塗らないようにするのが大事で、そうすると、いきいきとした動きが出てきます。光が不規則な塗りに乱反射して、生気を与えるのです。

 この場合の乱反射とは、科学で言う乱反射ではなく、不規則で乱れた反射と言う意味でしょう。
 しかしこの発言は、モナリザの別の謎にも答えているのかも知れません。つまり、
  「モナリザは写真によって、極端に見え方が違う。」
 と言う謎への答えです。私は、モナリザにはヴェールの線と体の線とで四通りのボディラインがあり、それぞれが違う女性美を語っている事に気づき、これを 『 モナリザは複数のボディラインを持つ 』に書いたのですが、その時、解像度に関わらず、ヴェールが透けて見える写真と、ほとんど見えない写真がある事に気づきました。
 岡野亮介画伯もある所で、モナリザの 「明るさや、色彩が本によって全然違う」 と少し驚いておられ、実は私は厚かましくも岡野画伯にメールで質問すると、それはもう、しばしばある事で、「だから原作を観る悦びもある」 と諭され、「くだらねえ質問を偉い人にしたな」 と冷汗三斗だったのですが、モナリザの写真うつりの差は、
  「下塗りの反射が関係しているのではないか?」
 と言う可能性が出て来ました。もしそうなら、五世紀にもおよぶ歳月の劣化にも関わらず、レオナルドの下塗りの技は、いまだに生きていると言う事に成ります!
 さて、 「モナリザの作り方」 に戻りましょう。

 その次に指を使って、茶や焦げ茶で陰影の部分から、上塗りの色をつけてゆく。

 こうして指でなぞってぼかしてゆくのですが、それには二つの意味合いがあります。まず筆だと、どうしても色の段差のようなものが出来てしまうのですが、その筆跡を消します。

 ( と言う事は、いわゆるスフマートでは筆跡が出来てしまう?)

 もうひとつは、異なる色を溶き合わすためで、光から影へのうつりゆきを、とても滑らかにぼかすのです。レオナルドには、指を使ったこうした単純なぼかしは、多くの絵で見られますが、モナリザでは、この他に高度なぼかしが複雑に混ざっており、そのため、指の跡がまったく残されていないのです。

 師フランクは、今度は筆で陰影を付ける作業に入り、その筆はだんだん細いものに取り替えられ、最後には漫画の劇画のように、細い線で陰影をつけて行きます。
 これで点画の 「準備が」 終わり! 一週間、絵の具を乾かします。(やれやれ!)
 それからやっと、ミクロ点描画法に入ります。
 ベースと成る肌色を、下書きの上に太い筆でばっさりと塗る。
 その上から点描で線を消してゆく。
ちょうどテレビの画面をルーペで見た時のように、人の肌色に赤や茶、緑や青なども入っているそうです。

 色や明かりの強さがまったく同じ点は、自然界には一つもないはずです。ですから一つ一つの点やタッチが、それぞれまったく同じに成ったりしないよう、色や明るさをそのつど変えてゆくよう、細心の注意を払います。
 教師でもある私は、この技法を十五年以上にわたって教えようとして来ました。しかし、これが極度の集中力を必要とする、とても神経にこたえる作業なので、誰も10分として、持ちこたえられる者はいませんでした。
 モナリザの秘密はこれなんです。想像を絶するこの緻密な作業の結晶なのです。

 これはレオナルドに対する、私の長い謎の答えかも知れません。それは、
  「レオナルドが60歳の時、とても70歳以下には見えませんでした。」
 と言う証言の謎で、卓抜した芸術家は、モーツァルトのように爆発を続けて夭折もしますが、たまに百歳を超えても元気な人がいるでしょう。絶えず煙草を吸い続けながらっ。(笑)
 80代くらいなら青年のような感じで、私はある人が「この間の日曜日に富士山に登って拓本を取って来ました。」などと、楽しげに言うのを聞いた事があります。 ( 誰だっ)
 「万能の天才」は脳と内蔵が異常に強い筈で、学芸の巨匠と言えば、右脳的な感性と感情が、左脳的な理知や直感と完全な連携をとり、互いに制御も誘発もでき、加えて神の領域にまで潜り、意識の深浅を自由に行き来します。脳の全体がまんべんなく開発され、自由に連絡ができると言う感じです。自画像に見るレオナルド・ダ・ヴィンチのイメージとしては、長寿タイプの方です。
 私は「ダ・ヴィンチはモナリザに、つまりアニマとまともに正面から取り組んだから衰弱したのだ。」と思っていました。実は私も、モナリザに取り組んでから目は悪く成る、全力疾走ができなく成るなど心身ともにガタガタで、一通り書いて最後の謎、「この絵のテーマは時間」に突き当たる頃の自分の写真を見れば、顔が歪んでいます。これは、元からではありません。(笑)
 アニマに向き合うだけでも、大変な事です。それに加え、ここまでしたら、いくら何でも確かに酷く消耗してしまう事でしょう ……… 天才に出来ない事は、もしかしたら「手を抜く事」 なのかも知れません。

 師フランクは言います。

 ミクロの点が見えますか? これは少なくとも、30分の1mmか、40分の1mmです。こうした何十万、何百万のミクロの点が、それぞれ反射したり、屈折したり、拡散する。それらの現象がすべて合わさって、一つのまとまりに見えるのです。それが、モナリザの現象なのです。

  「30分の1から40分の1? 0.3から0.4mmの間違いではないのか?」
 そう思って普通の雑誌の写真を、度の強いレンズで覗いてみました。だいたい一つの点が12分の1mmくらいです。
 ちなみに私の見ている37インチのテレビはフルハイビジョンですが、一枠が目測で0.5mm程度です。
 充分な解像度ではないでしょうか? だいいち 「そんな点が筆で打てるのか?」 と言うのも疑問です。
 40分の1mmと言えば、0.025mmですよ? 
 もうほとんど、高画質のプリンターをも凌駕するのではないでしょうか?
 しかし米粒に『 般若心経 』を書く人もいると言う事ですから、(いったいどんな筆でどう書くのか知りませんが、)不可能でもないのかも知れません。計算してみましょうか?
 0.025mmと言えば0.1mmの4分の1。1cm四方に1600の点。 モナリザのサイズは77cm×53cmですから×1600で、6529600点。一打一秒として108827分。≒1814時間。一日8時間の作業として227日、いくら何でも三分の一は隙間があるでしょうから、×三分の二で151日。……… さまざまに色を変えながら一打一秒は不可能でしょうし、この計算に意味があるのかどうかも疑問ですが、五ヶ月では無理でも、モナリザの製作時間と言われる五年かけたら、「ダ・ヴィンチならやってしまうかも知れないな。」とも思えます。と言うのも名作と言われる作品は、非常にしばしば、異様なほど緻密なのです。
  ( 13'5/10放映 『 世界ふしぎ発見 』 に再びジャック・フランク師が出演してくださり、
  「 多分ダ・ヴィンチでもモナ・リザを仕上げるには 十年はかかったと思いますよ。 」
 と言っておられました。 )

 画家は見た通りに描きたい、想った通りに描きたいと切望するでしょう。そして将来たとえばこれが、科学でも立証され、定説に成ったとして、それでもまだ大きな疑問が残ります。それは、
 「何故そこまでしなければならなかったか?」
 と言う疑問です。
 これにも師フランクは示唆を与えてくれました。

 モナリザの中に入り込むようにして、つぶさに見つめた人は、絵画という形で成し遂げる事が出来る人間の究極の技を感じて、こう呟くでしょう。

『 これが、極限だ。』


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